クソゲーハンター誕生秘話 その2

昨日は自分のことを書いたので、今日は箭本君多根さん編集者Hについて書こうかと思う。
 
おたくウィークリーで代理原稿として始まり、そこからある意味名物連載になっていったクソゲーハンター。今でも、その文章の意味は分からなくてもとにかく凄い威勢だけは伝わったんじゃないかと思う。
……で、そのゲームコラムをまとめて本にして出そうという話が、太田出版からオタクアミーゴス(岡田・唐澤・眠田3氏のトークライブユニット)に行ったもよう。
そして東京に急遽召喚を受け太田出版の近くの宿でミーティングが開始する。そこには、太田出版の上司O・編集者Hそして初対面の箭本君と俺が集まった。
原稿は、俺については20個ぐらいはあるので、余力があるぶん読み物にを書こう。今の秋葉原の面白いところを書くルポも載せよう、そしてこれが編集者Hの希望だったんだけど、『ときめきメモリアル会議室について』を載せよう……という形で中身はテキパキと決まっていった。そいて、ここまでは超順調にスイスイ決まったゲーム本の骨子も、仮タイトルを決めるところでピタリと止まった
 
なんか、ムリげな名前が20個ぐらいは出ては没になっていき、みんな急に疲れてきたところで上司Oがゲームについては唯一の門外漢ながら、女性らしい気配りで
「あの、仮タイトルなので気楽に考えてもらっていいんですよ。たとえば、『超クソゲー』みたいなのでもいいんですよ」
と言った。瞬間、俺・箭本・編集者H全員の目つきが変わり、「それだ!」となった。しかも、「オッケーこれだ、もう決定。変更は不許可な」というレベルで全員が瞬時に確定。タイトルに関しては、もうこの瞬間に完全に画定して、終わった話になっていた。
 
そのタイトルが決まった爆発的な勢いで、超クソゲー1巻と今回発売された超クソゲー1+2に掲載された、「はじめに」をその場でモバイルギア(原稿執筆用の懐かしい携帯文章入力端末)に書き始めた俺。
クソゲーというタイトルが決まったということは、今度は「はじめに」を書いて、この本が何についての本であるかを定義づける必要がある。そして今までネット上で発表してきたクソゲーハンターとは何なのかを文章化し、このとき初めて明確な定義付けが行われた自分で書きながらモヤモヤしてた部分が、確定した瞬間だった。
その場で箭本君、編集者Hのチェックが入り、修正されて洗練される。
最後に上司Oが「はじめに」を確認し、この本が何についての本であるかが確定した。
この本・超クソゲーが、普通の本ではなくなると確定した瞬間だった。
 
明日は、多根さんの参加についての話になる。