クソゲーハンター誕生秘話 その1

今日は、俺がクソゲーハンターになったところまでを書くか。
クソゲーハンターとして覚醒したのは、「オタクアミーゴス会議室」で「ときめきメモリアルについて」を書いた約2週間後だった。
 
ときメモの書き込みをしてからの2週間というもの、タチの悪いマジレスの人として遠巻きに観察されるような存在だった。
そして2週間後、たしか電撃王かなんかのコラムを見て突発的にこの文章は現れた。
http://netcity.or.jp/otakuweekly/PRE0.3/column2.html
最近のABCはどうもパンチが効いてないとか、そういう意見もあると思う。そういう時はぜひこの文章を読んで欲しい。
これがクソゲーハンター誕生のうぶ声であり、最初の商業コラムだ。パンチが利いてるどころか、パンチしかない
 
ときメモ会議室について」を2週間前に書いたことでマジレス野郎として悪名が轟いた男が突如クソゲーハンターと名乗り、この文体でゲームレビューを始めた
今見てもひどいが、文章は異常なまでの迫力に満ちてもいる。
しかも、オタクウィークリーの他の号を見れば分かるが、クソゲーハンターは飯野賢治氏の代理原稿として始まっているのだ。
もともとは、これもオタクアミーゴス会議室への単なる書き込みのひとつで、それが飯野氏の代理原稿として使われたのだ。実際、クソゲーハンターのコラムのタグにはしばらく飯野賢治のゲーム王という名前が付いたままだったから、どんだけ飯野氏が原稿をバックレたか事情が分かると思う。
 
見てのとおり、このあとでクソゲーハンターは名物コラムになり、連載を約束しながらいつまで経ってもコラム原稿を送ってこない飯野氏をおちょくる方向へとオタクウィークリーは変化していった。
後に飯野氏はQuickJapan誌上で自作のゲームを批判されて裏切られた気分でショックを受けたと語っていたものだが、その原因たるクソゲーハンターを世に送り出した直接の原因は他ならぬ自分のバックレだったというのは面白い。